2019-05-15 第198回国会 衆議院 文部科学委員会 第15号
私、ちょっと記憶が正しくなければおわびしたいですけれども、ウラル・アルタイ語圏というか、韓国と同じ言語体系の日本国で、これだけ、一九九〇年代から、今二〇一九年でございますが、二十年、三十年の流れの中でこういった差異が出てくるというのは、やはり我々政治に携わる、私は当時政治に携わらせていただいていなかったですけれども、そういった意味で、やはり不作為の責任というか、そういった部分も正直あるのではないかと
私、ちょっと記憶が正しくなければおわびしたいですけれども、ウラル・アルタイ語圏というか、韓国と同じ言語体系の日本国で、これだけ、一九九〇年代から、今二〇一九年でございますが、二十年、三十年の流れの中でこういった差異が出てくるというのは、やはり我々政治に携わる、私は当時政治に携わらせていただいていなかったですけれども、そういった意味で、やはり不作為の責任というか、そういった部分も正直あるのではないかと
英語というか、日本の将来を考えると、例えばアジア圏でいくと、マレー半島でもいいんですけれども、あるいは台湾でもいいんですけれども、華僑というか中国系の方々というのは、もともと中国語がしゃべれて、しかも、言語体系が似ているということで英語に親しみやすいという環境がある中で、日本もやはり、少子化というのはなかなか、とめようという努力を我々は一緒にしていかなければならないと思いますけれども、一方で現実的な
ブリッジのところ、この言語体系、本田宗一郎の技術屋としての直観力と、マーケティングあるいはマネジメントとしての藤沢武夫が持っている能力、これがうまくいったわけです。 ですから、機構から会社に出資する場合には、この三つのタイプの人間をうまく組み合わせるということが必要だと思っています。 もう一つは、最初から五百億円ありきではなくて、私は人材をつくりたいと思っているんです。
なぜかというと、育児は女性のものじゃないか、頑張れとか、君は何を言いたいんだと、話し方がまどろっこいとか、仕事の現場で話している言語と子供と向き合っている言語は同じ日本語と思わない方がいいと私思うくらい言語体系が違う。そこに虚心坦懐に耳を傾けてくれる夫が現状、今まで少なかった。 そうした問題に加えて、このお母さんたちは年賀状と暑中見舞いの季節がつらいと言います。
今回の、先ほど松橋参考人からお話があったEU—ETSですか、EUの戦略としては、自分のところの二十七カ国でいろいろと試してみて、大体スタンダードができると今度は国際標準だという一連の流れがあるものですから、仲間づくりが同じ言語体系の中で非常にスムーズに行われていまして、まだトルコも加盟しておりませんから、やはりまだEUというのはヨーロッパ人の社会かなと思っています。
こういう使い分けの中に、国民は、語学の違いだとか言語体系の違いというのは見ておりません。直観的に、政治姿勢の違い、アメリカを支援するときの強い調子、国民に対しては問題を抑制的に伝えるこういう調子、こういう意味でしかとらないわけです。
ただ、日本語と英語、言語体系が違っておりますので、直訳が正しいということではないと私は思っておりますが、趣旨としては正確だと思っております。 簡単に御説明を申し上げます。例えば、疑問が生じていることは否めません、これを英語にすると、イット・イズ・ノット・ディナイアブル・ザットから始まるのだと思います。そして、ゼア・イズ・ダウト。
そのまま直訳して通るかどうかといいますと、言語体系も違うわけですから、そこのところは違ってくるんじゃないかなと。 例えば、今委員がおっしゃった、時間は大変限られている。日本語としては余り、大変限られているということは言わないと思うんですね。極めて限られていると言うと思うんですよ。そうすると、英語としては多分エクストリームリー・リミテッド・タイム、こういう言葉を使わざるを得ない。
そういったところがウィンブルドン方式というのと、我々のように、日本語という、私は極めて名誉を感じますが、ある意味で世界でも独特な日本語という言語体系の中で、そして、イギリスのように別に七つの海に植民地があったわけではない日本が、ウィンブルドン方式、できるのか。 それは、イギリスに対するシンパシーから考えて、たくさんの国は、そこへ行ってやって、最後はシンパシーも勘案して何か行動するだろう。
具体的に申し上げますと、一号の小説等の言語の著作物というのは、いわゆる人間の言語体系によって表現されたもの。それから二号の音楽につきましては、いわゆる音的な、音によって表現されたもの。三番目の舞踊、無言劇の著作物は、人間の身ぶり、動作によって表現されたもの。それから四号の絵画等の美術の著作物は、形状とか色彩等によって表現されたもの。
その意味で今の表現——日本語、言葉というのは非常に難しゅうございますし、同じ用語を使いましても外国でもそれぞれ言語についての感覚が違うわけでございますが、著作物の属する範囲としては今世界的に態様はそういった言語体系、言語という中にはもちろん記号、符号も含まれますけれども、そういった表現手段によるものと芸術的な価値を持った芸術的な表現といいますか、音とか色とか構図とか図面とか、そういう形で表現されているもの
つまり例えば新しい言語体系をつくり出して、それが今までの言語よりもはるかに合理的であり、はるかに使いやすくてだれでもアプローチできるといったようなものが発明されたとすると、それは大いに保護されてしかるべきものではないかという感じがするんですが、そういう方面はこのプログラムの保護法の中には入らないにしても、独立にそういうものを保護するといったようなことは考えられませんか、どうでしょうか。
評価でございますが、これも先ほど申し上げました評価分科会で慎重に審議されまして評価をされておるわけでございますが、それによりますと、もともとこの大型プロジェクトにおきましては、ソフトウエアの開発も一つの非常に大きなねらいにしておりまして、そのためにハードウェアシステムに取り上げました新しい機能を効果的に発揮しますための大型のオペレーションシステムの開発と、それからソフトウエアの共通化のための各種言語体系
日本語の言語体系というものが、国際的なことばになりかかっております英語になじまない言語体系である。たとえば発音その他が英語になじみやすい体系下にある中国等においては、比較的英語の達者な人たちが多いために、充足率が高い、こういうような点もあります。